昭和のキテレツ先生シリーズ第2段ですね。
まあ、昭和だからって、あんまり関係ないような気もするんですが。
でもこの生物の先生、おかしなところってここくらいで、授業もフツーな人でしたよ?
この大会の日って晴れてはいたんですけど、リフトでは寒かったと思うので、やっぱり変人ですよね。グローブも無しって転ばないって自信がないとできないですよ。
土地柄でスキー民宿やホテル経営の家の子はみんなスキー上手で、国体の強化選手合宿に参加している子もいました。
私はスキーはへただったのでDクラスだったなぁ。
転校生とかはEクラス。
この記事の為に出身高校検索したのですが、どうももうスキー授業は無くなっているようでしたね。けっこう大変だったし、仕方ないのかな?費用だってかかったもの。
何が辛いって、リフトが最初のメインゲレンデに上がる一回と最後に中級コースに上がる一回の二回しか使えなかったこと。あとは逆ハの字でひたすら登るんですよ。ハの字登りの練習ですよ。ほとんど。
あと行きのバスはあるんだけど、帰りはないの。だから田んぼの辺りを自力で滑って戻らないといけなくて。田んぼほぼ平らなんですよ。スケーティングってスケートみたいな走法かストックついてこぐしかないの💦(。-_-。)
週1で2時間午後がスキー授業に充てられたんですけど、帰りは技術に応じて学校に着く時間がバラバラなので終わりのホームルームもないんですよ。今思うと転校生の子ってどうしていたんだろう。スケーティングなんてまだできなかっただろうし。先生がついていたんだろうな~。私も滑るのせいぜい中級くらいなんですが、この授業のおかげで(しかも主に帰り道)スケーティングだけは家族1うまいです。
スキー授業はそのうちまた描くかな?
キテレツ先生①はこちら